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旅こそが人生!ラビトリです(o^∀^o)♬

いつも記事をご覧いただきありがとうございます♬

皆さんあけましておめでとうございます。(≧▽≦) 今年もラビットリップをよろしくお願いいたします。

さて年も明けて、そろそろ卒業旅行の計画とか立てたりする時期ではないでしょうか。

学生最後の旅、どこへ行こうかもう、決まりましたか?

まだ迷っている学生さんも多いかと思いますので、人生の先輩として、若いうちに見ておいて欲しい観光名所を5つご紹介したいと思います。

卒業までまだ時間がある学生さんは、ぜひ長期休み中にでも行って欲しいなと思います。旅のプラン作りの参考にしてみて下さいね。

1.イギリス・ロンドン:グリニッジ天文台(世界遺産)

グリニッジ天文台

グリニッジ天文台は、ロンドン郊外グリニッジ地区のテムズ川河畔グリニッジ・パーク内に存在する天文台です。ロンドン中心部から東におよそ5km、テムズ川河畔からは南におよそ800mの丘に建てられています。

バス車内

ここに行くには、いろんなアクセス方法がありますが、バスで行くのが一番安く上がるので、私はバスで行きました。バスの車内はガラガラ。

太陽の光

それもそのはず。この観光地は世界中から観光客が押し寄せる場所なので、日の出前にホテルを出発したからです。

ちょうど到着5分前くらいに太陽の光が現れてきました。バスで行くと、グリニッジ・パークの裏門に止まり、そこから天文台へ向かいます。

グリニッジ・パークの裏門
グリニッジ・パークの裏門

グリニッジ・パークは大変広く、朝は地元の人たちの良い散歩コースになっていました。

グリニッジ・パーク

グリニッジ・パーク

どこを切り取っても絵葉書になりそうな風景をゆっくりと眺めること5分強、グリニッジ天文台に到着です。入口の門には24時間時計があります。

グリニッジ天文台
24時間時計

何時か読めません。でも壊れていないようでした。

グリニッジ天文台

敷地内部にはいろんな建物やモニュメントがあります。特大望遠鏡の存在にも圧倒されました。

特大望遠鏡

ハンドルは回すことができますよ。天文台はちょっと後回し。

込み合わない前にやらなければならないことがあります。このために朝早くに来たんです!そう、子午線をまたがなければなりません。

子午線

運良く誰もまだ順番待ちをしていません。さっそく撮影開始です。

子午線

子午線には、それぞれの都市の経度が表示されています。指をさして撮影する人もいますし、横に並んで撮影する人もいました。私は、王道ですね。またぎます。

子午線と著者

ちょうど私が立っているところが、「TOKYO 139・45」と表示されている箇所です。これがしたかった!朝早くて、とても寒かったですが、行ってよかったです。

子午線の混雑風景

ちなみに博物館見学を終えて外に戻ってきたのは11時ちょっと過ぎだと思いますが、驚いたのは子午線の撮影順番待ちです。もう30分待ち状態になっていました。

この場所へ行くのなら、ほんと8時くらいまでに行った方が良いかと思います。特に長期休みや土日は込み合うそうですよ。

グリニッジ天文台

大航海時代の真っ只中の1675年、チャールズ2世が設計したグリニッジ天文台。

既に航海を始めていたオランダをはじめとする、ヨーロッパ諸国に遅れを取ってはならぬと、航海術の発展に力を注いでいきました。この時代は特に、航海中、船がどこにいるのか、正確な位置を把握しておくことは人命にも関わるとても大事なことだったんですね。

特大望遠鏡

船の場所は、正しい時間を把握することで分かります。そこでグリニッジ天文台で時間を計り、港を発ってからどのくらいの時間が経過しているかを確認していきました。

その後、この場所が世界の時間の基準にとなる場所になりました。

特大望遠鏡

特大望遠鏡
モニター

天文台の主要な機能は、第2次世界大戦後から1958年にかけてグレートブリテン島南端のハーストモンソーに移転しました。さらに1990年にはケンブリッジに移転し、1998年、天文台としての活動を終えました。

観測スタッフの居所
観測スタッフの居所

現在は王立海事博物館の1つの施設として一般に開かれています。

宇宙をモチーフとしたドレス

宇宙をモチーフとしたドレス

役目を終え、博物館となっている旧天文台宇宙をモチーフとしたドレスが展示されていたり、観測スタッフの居所の内部が公開されていたりと見どころ満載です。惑星を今でも観測している特大望遠鏡もありました。

グリニッジ天文台

全ての見学を終えて外に出ると、天文台の上にある赤い球が視界に飛び込んできました。

この12時45分になると赤い球が上にあがって、13時にストンと降りて時間を知らせてくれるそうです。その瞬間を見ようと、お昼の時間帯が一番観光客でごった返すそうです。

見たい方は覚悟して行ってくださいね。

ロンドンの近代的な街並み

高い丘の上に立つグリニッジ天文台。ロンドンの近代的な街並みも一望できます。夜景もきれいだろうなぁ。

高層ビルなどが建っていなかった17世紀、この丘からは港も見えたのでしょうね。

グリニッジ・パーク

この地で様々なものが生まれ、様々な事柄が決められてきました。 そして現代につながっています。 ぜひ若いうちに、子午線をまたいできてください。

詳細情報

グリニッジ天文台のホームページはこちら

営業時間 10:00-17:00(入館は閉館30分前)
休業日 12/24~26(クリスマスウイークのため)
料金 グリニッジ天文台の入場料は、大人9.5ポンド、カティ・サークは13.50ポンド

5月3日〜8月30日の間はメリディアン・コートヤードは20時まで開いているらしい。

12月31日は早く閉館 *1月1日およびロンドンマラソンの日は12時に開館

*両方を見たいならコンボ・チケット18.50ポンドがおすすめです。子供料金は、グリニッジ5ポンド、カティ・サーク7ポンド、コンボ8.5ポンド。

アクセス情報

住所 Royal Observatory Blackheath Avenue Greenwich, SE10 8XJ
電車 チャリングクロス駅で、ルイシャム駅行きのナショナルレールに乗車、ルイシャム駅で下車。ルイシャム駅から、DLR Stationで無人運転電車に乗り、カティ・サーク・マリタイム・グリニッジ駅で下車します。
ボート ロンドン・アイ、エンバンクメント、ブラックフライアーズ、ロンドン橋と埠頭から乗船することができます。グリニッジ埠頭で下船。ボートを利用すると、ロンドンの名所を観光しながら行くことができます。
バス バスは公園口には止まりません。丘の下に止まりますが、こちらの方がわかりやすいです。ラッセル・スクエア駅を出発する「188番」のバスに乗車。National Maritime Museumで下車します。グリニッジ天文台までは5~10分の徒歩になります。急な坂道もあるため、歩きやすい服装でお出かけになることをおすすめします。

2.フランス:パリ:コンコルド広場(世界遺産)

コンコルド広場

コンコルド広場は、パリの中心部であるチュイルリー公園シャンゼリゼ通りに挟まれています。

オベリスク(記念碑)が建つパリ最大の広場と言われ、季節を問わず多くの観光客で賑わいを見せるのが特徴です。

コンコルド広場

そんなコンコルド広場はパリ8区にあります。

1755年にアンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計されたこの広場は、作られた当初は「ルイ15世広場」と呼ばれ、ルイ15世の騎馬像が立っていたそうです。

ところが1789年にフランス革命が始まったことにより、この騎馬像は取り除かれ、ギロチン台の置かれた処刑場へと変貌を遂げました。ルイ16世やマリー=アントワネットが処刑された場所として世界史の時間に習ったことを覚えている人も多いことと思います。

1789年以降、名前も「革命広場」に変わりました。今のコンコルド広場からは想像できませんが、当時は革命に関わった多くの人が、この場所で命を落としたのです。

マリー=アントワネットの処刑時には1万人以上の見学者が訪れたと言われています。ギロチンで斬首された人は、1200~1300人と言われていますが、実際は革命に関わった人がほとんど処刑されていますので、1500人は超えているのではないかと思われます。

あまりにも悲しく、残虐な歴史を持つこの広場は1795年、ロベスピエールによる恐怖政治の終わりとともに、「コンコルド(調和)広場」へと改名されました。

オベリスク

そして1836年にはエジプトからルクソール神殿からのオベリスク(正式名称:クレオパトラの針・Luxor Obelisk)が贈呈され、広場の象徴になりました。このオベリスクに関して、以前エジプト旅行をした際、ガイドさんから聞いたお話がありますので、紹介したいと思います。

オベリスクとは、古代エジプト期に作られた記念碑のことで、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていましたが、後世のギリシャの人々がobeliskos(串)みたいだ!と呼んだことがきっかけとなり「オベリスク」という名が広まりました。

オベリスク

もうちょっと良い例えはなかったのか、とその当時に生きていたギリシャ人に突っ込みたくなりますけどね。(笑)

噴水

このオベリスクのそばには、噴水があります。噴水も観光客にも人気で、よくシャッターを切っている様子を見かけました。

しかし、こちらの噴水は、冬場は水が流れません。凍ってしまうため、止められているそうです。

噴水

私が行ったときは、年末年始でしたので、全く水は出ていませんでした。この美しい噴水を観たい方は、冬季以外に行ってくださいね。

地図で見ると、コンコルド広場から凱旋門までは約2200mの道のりがあります(シャンゼリゼ通りを歩く場合)。パリで最も華やかな通りを、ウインドーショッピングをしながら歩いていると、意外にあっという間に歩けてしまいました。私は歩くスピードが遅い方なのですが、30分程度でたどり着くことができます。

渡航した時期はクリスマスマーケットなども開催されていて、シャンゼリゼ通りも一層華やかで、本当にきれいでした。シャンゼリゼ通りは大変素敵だったので、昼も夜も歩いたのですが、石畳ゆえにさすがに疲れました

観覧車

過去の悲しい記憶をかき消すかのように、大掛かりな観覧車が作られたり、メリーゴーランドが設置されたりと、若者のデートスポット化に忙しいコンコルド広場ですが、もうちょっと、昔、こんなことが行われた場所なんだよ…程度でもいいから、歴史解説が書かれた看板などがあってもいいんじゃないかな、と個人的には思いました。

たくさんの尊い命の犠牲があって、フランスに今の自由と平和がもたらされているわけですからね。

コンコルド広場 夜景

そんなコンコルド広場ですが、夜景もとても素敵でした。

ライトアップされたオベリスク

オベリスクもライトアップされて昼間とはまた違う表情を見せてくれます。観覧車は順番待ちの列ができていました。ほとんどカップル。

コンコルド広場 夜景

昼間は家族連れの人たちが多いですが、夜はデートスポットですね。コンコルド広場からはどこの観光名所も大変アクセスが良いです。

クレマンソー広場

手前にあるクレマンソー広場で左折すれば、グラン・パレ、プチ・パレの2つの美術館が見えてきます。距離にして800mもないくらいです。ちなみにクレマンソー広場の右手奥には、大統領官邸のエリゼ宮が建っています。ここも観光名所の1つですね。

クレマンソー広場

歴史的にも今につながる深い場所であるコンコルド広場。ほかの観光名所へ行くついででも良いですから、ぜひこの広場に足を運んで、数分でもいいから立ち止まってください。自由の尊さを痛感することができる、貴重な場所です。

アクセス情報

住所 Place de Concorde, 75008 Paris
行き方 地下鉄1・8・12号線 コンコルド駅を出ると、すぐ目の前にあります。徒歩約10秒くらい。シャンゼリゼ通りから歩いても20分から30分程度で到着します。私的にはこちらの方がおすすめ。

3.インド・サルナート ムーラガンダ・クティー寺院

ムーラガンダ・クティー寺院

現地の物価が異常に安いインド。

旅行代金を安く抑えることができるからか、日本では感じることのできない刺激を受けることができるからか、はたまた怖いもの見たさからか、バックパッカーだけでなく、今では老若男女問わず訪れるようになったと言われています。

インドの観光名所は、タージマハール、ジャイプール、ガンジス川の沐浴風景だけではありません。もし沐浴風景を見るためにガンジス河まで足をのばすなら行くなら、ついででも良いから行ってきて欲しい場所があります。

それが今回紹介するサルナートです。

このサルナートへは、沐浴風景を見ることができるベナレスから車で、30分くらいで行くことができます。

ブッダがはじめて仏教の説法を行なった初転法輪の地と言われているサルナートは、ブッダの生まれた地であるルンビニー、悟りを啓いたブッダ・ガヤー、涅槃に入ったクシナガルとともに、仏教の4大聖地の1つと認められています。仏教徒が多い日本。私たちにとっても、とても大切な場所だと思うんです。

このサルナートには、6世紀にアショーカ王によって建てられたダメーク・ストゥーパをはじめとして、考古学博物館などインドの源流に触れることができる建物が多くあります。その中でもぜひ行って欲しいのが、ムーラガンダクティ寺院です。

ムーラガンダ・クティー寺院 壁画
ムーラガンダ・クティー寺院 壁画

ここの堂内の壁一面には、フレスコ画で右回りに仏陀の一生が描かれています。なんとそれを描いたのが、日本人仏教画家の野生司香雪

ムーラガンダ・クティー寺院 壁画
ムーラガンダ・クティー寺院 壁画

彼は1930年代に4年の歳月をかけて描いていきました。

野生司香雪(のうす こうせつ:1885~1973)
香川県出身の日本画家であり、父は浄土真宗の僧侶でした。現在の東京芸術大学を卒業後、昭和22年に長野県にある善光寺雲上殿壁画を手掛けました。大正6年にアジャンタ壁画の模写を手伝った経歴と、詩人タゴールと交流が縁で、昭和7年に、サルナートのムーラガンダ・クティ寺院に派遣され、お釈迦様の一生の壁画を描くことになったと言われています。

ムーラガンダ・クティー寺院 壁画
ムーラガンダ・クティー寺院 壁画

とても優しいタッチで描かれた仏陀の一生は、解説がなくても非常にわかりやすく、多くの観光客が足を止めて見入っていました。

ガイドさんの話によると、スリランカ人僧侶ダルマパーラ師は、初転法輪の地・サルナートに再び祈りの場を設けようと考え、マハボディ・ササエティー(大菩提会)を作り、1931年に寺院を建立したそうです。

梵鐘

ムーラガンダクティ寺院の入口真上には、日本仏教連合会から寄進された梵鐘が吊るされてあり、清水寺管長であった大西良慶師による文字が刻まれていました。

初転法輪を行うお釈迦様と五比丘

寺院横には「初転法輪を行うお釈迦様と五比丘」のモニュメントがありました。

そばには菩提樹の大木が茂っています。この樹は寺院落慶の時に、スリランカ・アヌダラプーラのスリマハ菩提樹から株分けされたものだそうで、仏陀の金剛宝座の上に茂る聖木の兄弟にあたるそうですよ。

信者達
信者達

そのような繋がりがあるからか、こちらの寺院には、スリランカ(上座部仏教徒が多い)からの熱心な信者が多く訪れていました。日本ともゆかりが深いサルナート。

さちこのお店

この時は8月の熱い時期に行ったので、休憩と称して、観光後にガイドさんがお土産屋さんへ連れて行ってくれました。それが「さちこのお店」です。

日本人のさちこさんが経営しているお店で、数珠とか仏像とかが売られていました。両親はここでお土産を購入していました。

お茶をふるまってくれたのがうれしかったです。ここに寄るのが、観光の定番コースのようですね。

インドシルクのお店
インドシルクのお店

このお土産屋の後に連れて行ってもらったのは、インドシルクのお店。サリーなどを作っている工房へ行きました。私はここでショールだけ購入。日本で買うよりはるかに安かったですね。

インドシルクのお店

ここで購入したショールは、インドのムガル帝国時代の授業の際に、導入部で出して生徒さんに見せたりしています。

非常にのどかな都市です。自身の源流を知るうえでも欠かせない場所ですので、ぜひインドを旅するときは、サルナートも立ち寄ってくださいね。ちなみに近くにある考古学博物館はトイレ休憩やクーラーで涼みたい場としておすすめです。

詳細情報

ダメーク・ストゥーパ(ムーラガンダ・クティー寺院は隣接している。)

時間 日の出から日没まで
休日 無休
料金 100ルピー(約200円)

考古学博物館(Archaeological Museum)

時間 10:00~17:00
休日 金曜
料金 2ルピー(約4円)

※小規模ですが、古代インドからの文化財が展示されています。

サルナートを訪れるツアーを専門に扱っている旅行会社のホームページはこちら

アクセス情報

サルナートへはベナレス駅から車で約30分。

4.ホーチミン 戦争証跡博物館

ホーチミン

ベトナム最大の都市、ホーチミン

街のあちらこちらには、フランス植民地時代に作られた、ゴシック様式の教会や建物が丁寧に保存されており、一瞬、ヨーロッパへ旅行に来たような感覚に襲われます。

一方、ベトナムのシャンゼリゼ通りと言われているドンコイ通りなどでは、ベトナムらしいキッチュなお土産が買えたりもするんですよね。

ホーチミンは、西洋と東洋の文化がうまい具合に調和を見せてくれる、魅力的な都市です。

ホーチミン

もちろん社会主義国なので、街中のいたるところに、この国の功労者であるホーチミン氏のポスターや看板が飾られています。

タイ・カンボジアと並ぶバックパッカーに人気の高い国ですので、行きたいと考えている方も多いと思いますが、もし行かれるなら絶対に外してほしくない名所がありますので、今回はそちらを紹介したいと思います。

ぜひ行って欲しい場所、それは戦争証跡博物館です。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

ここにはベトナム戦争がもたらした傷跡がいっぱい詰まっています。

入場料を支払い、中へ入るとすぐに私たちを出迎えてくれるのが、ベトナム戦争で実際に使われた、たくさんの戦車戦闘機です。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

結構、無造作に並べられていて、戦争を知らない子供たちが、ヘリコプターの周りで鬼ごっこなどして遊んでいるんですね。

実際に使用されていた感じには見えないですからね。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

でも操縦席とか見ると、使用感があり、緊張が走ります。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

この席から何が見えていたのかな、人間がモノに見えてしまうようなそんな席だったんじゃないかな、など悲しい想像が膨らんでしまいます。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

社会の時間に習った方も多いと思いますが、ベトナム戦争は、第1次インドシナ戦争の延長上に起きた宣戦布告のない戦争でした。

南ベトナム解放民族戦線が、南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月に始まり、1965年2月7日のアメリカ合衆国と北ベトナムの戦争を経て、1975年4月30日のサイゴン陥落まで続きました。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

この戦争の特徴は、都市部の人口密集地域にアメリカ空軍とサイゴン政府空軍により猛爆が加えられ、特に民間人が多大な犠牲を払うことになった点です。

また、この戦争は、世界中のメディアによって報道が自由になされたことでも有名ですね。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

多くの戦場カメラマンやフリージャーナリストが、戦争によってもたらされる悲劇と、その中でギラリと光る真実の姿を求めて、ベトナムを訪れました。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

彼らが命がけで残した記録の一部がこの博物館に多数展示されています。

この写真は、資料集で見たことがある!という写真も多く展示されていました。

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館

一番有名な写真は、私の頃は社会の教科書に掲載されていたのですが、「安全への逃避」というタイトルがつけられた写真でしょうか。

沢田教一

この写真を撮影したのは、日本人戦場カメラマン沢田教一さんです。沢田さんはこの写真でピューリッツァ賞を受賞されました。

とても饒舌に悲しみを語る写真を見ていると、言葉を失います。よく「こんな写真を撮っている暇があったら、なぜ目の前の人間を助けないのか。」という上から目線のセリフを投げる人がいますが、ここに来ると、その言葉は間違っていると、確信します。

カメラマンやジャーナリストの人たちは撮影したり取材したりしながらも、非戦闘員の人たちを必死で助けていたんです。命がけで。だから、カメラマンやジャーナリストの中からも多数の犠牲者が発生したのでしょう。

ここには自らの命を危険に晒しながらも、シャッターを切り続けた、ペンを走らせ続けて、真実を伝えようとしてきた彼らの生きざまも大切に保存されています。

資料室

資料室は、本当に静かでした。来場者は皆、黙って戦争がもたらす、むごたらしさと向き合っていました。残念ながら、日本ではあまりこのベトナム戦争について、指導しません。

でも日本もアメリカと同盟国なわけですから、戦争協力をしているんです。人殺しに加担していたんです。

資料室
資料室

銃口を頭につきつけられ、怯えているベトナム人女性の写真。

人間の死骸をまるで物のように手づかみし、にっこりと笑っている米兵の写真、枯葉剤の影響で奇形になってしまった胎児のホルマリン漬けなど、目を背けたくなるようなものが、これでもかというくらいに展示されています。

実際に私たち日本人が手を加えたわけではないとはいえ、私たちと同じ人間が起こしてしまった重く暗い歴史が、ありのままの姿でこの博物館に静かに鎮座しています。

戦争を知らない、若い世代の人たちにぜひ見ていただきたいと思っています。

ホーチミンのにぎやかな街並みからは想像できないかもしれませんが、今から40年以上前、確かにこんな悲劇がこの国で起こったんです。ぜひ、足を運んでください。

詳細情報

電話番号 08-3930-6325
営業時間 7:30-12:00/13:30-17:00
休業日 無し
入場料 1万5千ドン

※5歳以下は無料。

アクセス情報

住所 28 Vo Van Tan St. Dist.3 HCM City
住所
(ベトナム語)
28 Vo Van Tan, Q3
行き方 市民劇場を出て右へ、ドンコイ通りをまっすぐ行き、聖マリア教会を越え、ブエンティミンカイ通りを越え、次のロータリーを左に曲がり、ボーヴァンタン通りをまっすぐ500mほど進むと右手にあります。徒歩約20分くらいで到着します。暑かったらタクシーを利用して下さい。

5.カンボジア・シェムリアップ アキーラ地雷博物館

アキーラ地雷博物館

シェムリアップの中心地から車で10分程の所にある地雷博物館。

アキーラさんというカンボジア人(日本人ではない)が 個人経営をしています。博物館といっても、アキーラさんが個人的に地雷撤去作業中に発見したものを展示しています。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

カンボジアには、1970年代から続いたベトナムとの戦争や内戦により、400-600万個の地雷と、ベトナム戦争の時代に投下された200万個の不発弾が残されていると言われています。

アキーラ地雷博物館

毎年、政府やNGOの活動により懸命の除去作業が続けられていますが、年間除去できるのはせいぜい1年で4~5万個程度だそうで、このままのペースでは全撤去に100年かかるとか。

アキーラ地雷博物館

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

その為、カンボジアでは毎年100~200名程度の人間が地雷と不発弾により命を落としています。つまり計算すると2~3日に1人は今もなお、このような悲しい事故の犠牲になっているのです。

アキーラさんはもともと、内戦時代にポルポト政権下で、その行いが正しいと信じ、地雷を埋め、銃を持ち戦っていました。しかし戦争によって苦しめられている人々を目の当たりにし、自身の過去の贖罪から現在は地雷撤去のために各地を奔走し、命がけの仕事をほとんど無収入で行なっています。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

対人用地雷は、人を殺すことが目的ではなく、足を吹き飛ばして、怪我人を手当てさせて進軍を遅くすることが目的で作られました。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

地雷はたった300~500円もあれば作ることができます。それは地雷の構造はとても単純で、火薬やプラスチックなど、安くて簡単に手に入る材料で作ることができるからです。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

安く製造できる割に、地雷を撤去するには1個あたり200~1000ドルの費用が掛かります。なので、カンボジアのいたるところでは今も、多数の寄付を募っているのです。インターネット上でも多くの国々のNGO団体などが寄付を募っていますよね。ご存知の方も多いと思います。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

ここの博物館では地雷の被爆者の体験談なども多く展示されています。この写真からも戦争の悲惨さや愚かさがひしひしと伝わってくるのですが、一番衝撃を受けたのは、この博物館で働いているスタッフさんの存在でした。

アキーラ地雷博物館

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

足や手がない人たちがたくさん居たんです。もちろん地雷の被爆者でしょう。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

アキーラさんは彼らもこの博物館で雇用して、面倒を見ているのです。地雷の被害を受けた子供たちの生活もアキーラさんは引き受けていました。

アキーラ地雷博物館
アキーラ地雷博物館

この博物館の奥には、子供たちの施設が併設されていました。でも彼らには会うことはできませんでした。それはこのような看板が立てかけられていたからです。

アキーラ地雷博物館

私はこの博物館の奥に子供たちの施設があるということを事前に知っていたので、直接会って、古着などを渡したいと思っていました。しかし看板には、このような文がしたためられていました。「孤児院を訪問することはアジアで大きな問題です。私たちは子どもたちを悪用には参加しません。

子どもたちは地雷で傷ついただけでなく、長きにわたり、善意という名の一方的な暴力にもさらされてきたのでしょうか。考えさせられた瞬間でもありました。

アキーラ地雷博物館

かつてクメールルージュの少年兵だったアキーラさんは、国の援助を受けず地雷撤去を今でも続けている活動が世界的に認められ、CNNの「世界のヒーロー」にも選ばれたそうです。博物館には、その記念品も飾られていました。

アキーラ地雷博物館

そして、この博物館のお土産コーナーには、DVDを視聴できるスペースが設けられています。そこでは訪れた日本人観光客のために、昔、TBS系列の「世界バリバリバリュー」という番組でアキーラさんの特集が組まれた時のVTRを見ることができました。小規模な博物館ですが、カンボジアについて深く考えさせられる場所です。

カンボジアには、どうしてお年寄りが少ないのか。そして観光産業と農業以外の産業がないのか。その答えは、この博物館を見学すればわかるはずです。

カンボジアの内戦はまだ終わっていません。どうか自身の目で戦争の様子を見てきてください。

詳細情報

入場料 3ドル
営業時間 7:30~17:30
電話 (+855)(0)97-313-9229

アクセス情報

シェムリアップの市街地から北東におよそ35キロの地にあります。その5キロ先には有名なバンテアイスレイ遺跡があります。一之瀬泰造の墓も手前5キロの所にあります。

最後までご覧いただき本当にありがとうございました。

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